序章 無差別殺人の時代に振り返る過去の惨劇
近年、日本各地で無差別殺人事件が相次いでいます。秋葉原通り魔事件(2008年)、川崎登戸での児童襲撃(2019年)、京都アニメーション放火殺人(2019年)。いずれも動機が乏しく、無関係の人々が突然襲われました。私たちが暮らす社会のどこにでも潜む「突発的な暴力」は、いまや誰にとっても他人事ではなくなっています。
しかし、こうした事件は現代に限った現象ではありません。半世紀以上前にも、群馬県で「まったく関係のない若い女性を次々と狙った連続殺人」が発生しました。犯人は「画家」を名乗り、女性を「モデル」に誘い出すという、当時としては異様な手口を用いました。事件は「大久保清事件」として、日本犯罪史に深い爪痕を残しました。
第一章 群馬・榛名山に広がった恐怖
1971年の秋、群馬県榛名山のふもとで若い女性の遺体が発見されました。裸に近い状態で、抵抗した痕跡が残されていました。その後も失踪者が相次ぎ、翌1972年にかけて同様の遺体が次々と見つかりました。
地元新聞は「榛名山連続女性殺人」と連日大きく報じ、学校では「知らない人について行かないように」と教師が子どもたちに指導しました。住民は「山へ薪を取りに行くのも怖い」と語り、地域全体が不安に包まれていました。
第二章 「画家」を名乗った男
犯人・大久保清は1923年、群馬県中之条町の農家に生まれました。若い頃から問題行動が目立ち、戦後は強姦や窃盗で逮捕と服役を繰り返しました。
40代に入ると、彼は「画家」を自称し始めます。美術教育を受けたことはありませんでしたが、独学で油絵を描き、スケッチブックを抱えて街を歩きました。女性に「モデルを探している」と声をかけるときの穏やかな口調や真面目そうな服装は、犯罪者を思わせるものではありませんでした。
近隣の人々は彼を「母親思いの息子」と語り、実際に老いた母を大切にする姿も目撃されています。地域の集まりに顔を出すなど、社会の中に溶け込みながら、裏では恐るべき犯行を重ねていたのです。
第三章 犯行の手口と被害者たち
大久保の手口は一貫していました。街で女性に声をかけ、車に乗せて山中へ向かう。裸にさせて性的暴行を加え、抵抗されれば殺害し、遺体を人目につかない場所に捨てる。
被害者は確認されているだけで8人。いずれも20代前後の若い女性でした。
- 被害者A(短大生)
友人に「画家にモデルを頼まれた」と話したのを最後に姿を消しました。後日、榛名山中で遺体となって発見されました。 - 被害者B(会社員)
同僚に「これから絵のモデルをする」と語って退社したまま行方不明に。家族は「人を疑わない性格だった」と振り返りました。 - 被害者C(美容師見習い)
仕事帰りに駅前で「スケッチを描かせてほしい」と声をかけられたのを最後に消息を絶ちました。 - その他の女性たち
目撃証言では「モデル料を出すと言われた」「絵を描くだけだから安心だと言われた」などが残されています。
被害者たちの共通点は、犯人を「特に怪しい人物とは思わなかった」という点でした。むしろ「画家に選ばれた」という期待や好奇心があったことが、悲劇を深めました。
第四章 逮捕の瞬間と供述

1972年春、群馬県警は失踪女性の行動を徹底的に追跡しました。複数の現場で大久保の車が目撃されていたことが決定的な手がかりとなり、5月に彼は逮捕されました。
取り調べでは当初黙秘していましたが、やがて犯行を認めました。「裸を見たい欲望を抑えられなかった」「女性は信用できない」などと語ったとされ、冷酷な供述は社会に衝撃を与えました。
一方で、近隣住民からは「母親を大切にする息子」という証言が相次ぎました。その二面性は「人は外見や肩書だけで判断できない」という事実を突きつけました。
第五章 報道の過熱と世論の反応
事件発覚後、新聞や週刊誌は連日トップで報じました。
新聞は「モデル募集殺人」として詳細に報道し、週刊誌は「性欲の鬼」「二つの顔を持つ男」と見出しを躍らせました。
一部週刊誌では「女性も不用心だったのではないか」という被害者責任をにじませる表現があり、批判を浴びました。世論の大多数は「極刑しかない」というもので、裁判を待たずして大久保は「極悪人」と断罪されていました。
第六章 裁判の行方
裁判で最大の争点は責任能力の有無でした。精神鑑定では「性格に著しい偏りがあり、強い性的衝動を持つ」とされましたが、刑事責任能力は十分にあると判断されました。
1974年、前橋地裁は死刑判決を言い渡しました。判決理由は「計画的かつ冷酷な犯行であり、更生の余地はない」というものでした。弁護側は「社会が生み出した異常者」と主張しましたが、控訴審・上告審でも退けられました。
1976年、大久保清は53歳で死刑執行となりました。その報道は初期ほどの大きさはなく、世論の関心はすでに他の事件へ移りつつありました。
第七章 社会に残した爪痕
大久保清事件は、日本社会にいくつかの重要な影響を残しました。
- 防犯教育の徹底
学校で「知らない人について行かない」という指導が広まりました。 - 犯罪心理学への関心
「社会に溶け込みながら犯行を重ねる連続殺人犯」という研究対象として注目されました。 - 報道倫理の課題
一部メディアの被害者責任論が批判を受け、報道におけるプライバシーや人権配慮が議論されるようになりました。
第八章 現代との比較と教訓
現代の無差別殺人事件と大久保事件を比較すると、表面的な動機や手口は異なりますが、共通するのは「社会の中に普通に存在していた人物が突如として牙をむいた」という点です。
秋葉原通り魔事件の犯人も、ネット上では孤立しながら日常生活を送っていました。京アニ放火事件の犯人も、近隣住民からは「普通の男」と見られていました。大久保清も同じように、母親を思う息子として地域に受け入れられていました。
この二面性こそが犯罪を見抜く難しさであり、社会が学び続けなければならない教訓です。
終章 忘れられぬ影
榛名山のふもとに眠る8人の犠牲者。その無念を私たちは忘れてはなりません。
大久保清は「怪物」と呼ばれましたが、同時に「普通の人間」として社会に溶け込み、母親を思う姿を見せていました。その二面性は、現代社会にも通じる警鐘です。
過去の事件を振り返ることは、単なる歴史ではありません。理解不能な暴力が社会を襲ったとき、私たちがどう備えるべきかを教えてくれる道標です。
参考文献
- 『戦後重大事件の記録』毎日新聞社
- 『日本の連続殺人事件』新潮新書
- 『大久保清裁判資料』群馬県警公開記録
- 当時の新聞報道(朝日・読売・毎日、1971〜1976年)


