犯罪

浅間山荘事件 ― 学生運動の衰退とテレビ時代の幕開け

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序章 銃声とテレビカメラ

1972年2月19日、長野県軽井沢の別荘地「浅間山荘」で、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に取り立てこもりました。
この事件は10日間に及び、最終的に2月28日、警察が突入して解決しました。

突入の様子はテレビ各局が生中継し、視聴率は瞬間最高で 89.7% に達しました。日本中がリアルタイムで事件を見守ったこの出来事は、戦後社会に大きな転機をもたらしました。

浅間山荘事件は単なる籠城事件ではありません。背景には1960年代後半の学生運動の行き詰まり、連合赤軍による「総括リンチ」と呼ばれる仲間内の粛清がありました。そして事件後、日本の大衆的な学生運動は急速に衰退し、社会は「経済成長と豊かさ」を志向する方向へと大きく舵を切ったのです。


第一章 高度経済成長と学生運動

1960年代、日本は高度経済成長のまっただ中にありました。新幹線開業、東京オリンピック開催など明るいニュースが続く一方で、急速な経済発展の陰には格差や矛盾も生じていました。

大学では学費値上げや管理強化に反発する運動が広がり、さらにベトナム戦争や安保条約への反対運動が学生の間に火をつけました。各地で大学紛争が勃発し、1968年から69年にかけては全国でキャンパスが占拠されました。

しかし、70年安保闘争が挫折すると運動は急速に退潮します。大衆的な支持を失った一部の若者たちは「革命のために武装闘争が必要だ」と考え、より過激な方向へ進んでいきました。その果てに誕生したのが「連合赤軍」でした。


第二章 連合赤軍と「総括リンチ」

連合赤軍は、過激派組織「赤軍派」と「革命左派」が合流して1971年に結成されました。目指したのは「世界同時革命」であり、そのために仲間同士を徹底的に鍛え上げる必要があると彼らは考えました。

群馬県の山岳ベースで行われたのが「総括」と呼ばれる行為です。これは自己批判を強制するものでしたが、実態はリンチでした。殴打や絶食を強要され、心身を衰弱させられた仲間が次々と死亡しました。

最終的に 12人が命を落とし、その中には妊娠中の女性や若者も含まれていました。理想を掲げていたはずの仲間を自らの手で殺すという矛盾は、のちに「連合赤軍の狂気」として社会に記憶されることになります。


第三章 浅間山荘籠城事件

「総括リンチ」により多くの仲間を失った連合赤軍の残党5人は、1972年2月、長野県軽井沢に逃れました。警察の追及を受け、2月19日、河合楽器の保養所「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質にして立てこもります。

山荘は雪深い別荘地にあり、堅牢な造りで籠城には適していました。犯人たちは猟銃や拳銃で武装し、窓から銃撃を行いました。警察は原則として発砲を避け、代わりに放水車や催涙弾を投入しました。

しかし人質の安全を最優先したため強行突入はできず、にらみ合いは10日間続きました。現場は雪に閉ざされ、連日報道陣が詰めかけ、全国民が事件の行方を固唾をのんで見守りました。


第四章 鉄球作戦と突入

2月28日午前、警察は決断を下しました。大型クレーンに鉄球を吊るし、山荘の外壁やベランダを破壊する作戦です。鉄球が壁に叩きつけられる映像はテレビで生中継され、視聴者は固唾をのんで画面を見守りました。

午後に入り、催涙弾の投入で犯人たちの抵抗力が弱まると、機動隊が突入しました。激しい抵抗の末、立てこもっていた5人全員が逮捕され、人質は無事救出されました。警察官2人と民間人1人が殉職し、多数が負傷しました。

この瞬間、日本中の茶の間に事件の決着が届けられました。


第五章 テレビが生んだ「劇場型事件」

浅間山荘事件の大きな特徴は、テレビの生中継です。NHKと民放各局が突入までの様子を10時間以上にわたり放送し、視聴率は平均50%を超え、瞬間最高は 89.7% に達しました。

国民はリアルタイムで警察の突入を目撃し、まるでドラマを見るかのように事件を体験しました。後に「劇場型事件」と呼ばれる、メディアと凶悪事件の結びつきはここから始まりました。


第六章 社会に走った衝撃

事件解決後、連合赤軍による「総括リンチ」の全容が明らかになると、日本社会は深い衝撃に包まれました。革命を掲げていたはずの若者たちが仲間をリンチで殺し、一般人を人質にとって銃撃を行ったのです。

この事件をきっかけに、学生運動は急速に大衆的支持を失いました。浅間山荘事件以降、大学キャンパスを覆っていた「闘争の旗」は次第に消え、70年代後半には就職や消費に関心を向ける「豊かさを楽しむ時代」が到来しました。
もっとも、中核派や革マル派など一部の過激派はその後も活動を続けましたが、大衆運動としての学生運動はほぼ終焉を迎えたといえます。


第七章 現代への教訓

浅間山荘事件は過去の出来事でありながら、現代にも通じる教訓を持っています。

  • イデオロギーの暴走
     「理想のため」と称して仲間を殺すという矛盾は、現代のカルト事件や過激思想にも通じます。
  • メディアと事件の関係
     浅間山荘事件での生中継は、事件が「観客の前で演じられるもの」へと変わった瞬間でした。SNSが発達した現在、この問題はさらに重要になっています。
  • 暴力の無意味さ
     連合赤軍の武装闘争は何も生み出さず、残されたのは死者と荒廃だけでした。この点は現代の無差別事件とも共通しています。

終章 雪の中の銃撃戦が残したもの

1972年2月28日、浅間山荘の雪景色に響いた銃声と鉄球の音は、日本社会に大きな転機を刻みました。
若者が夢見た「革命」は瓦解し、学生運動は衰退の道をたどりました。そしてテレビというメディアが国民生活に強烈に入り込み、「事件を視聴する時代」が始まりました。

浅間山荘事件は、単なる過去の籠城事件ではありません。社会の方向性を変え、いまなお「思想の暴走」と「メディアの力」という二つの教訓を私たちに問い続けています。


参考文献

  • NHK取材班『浅間山荘1972』
  • 毎日新聞社『戦後重大事件の記録』
  • 警察庁公開資料「浅間山荘事件関係報告」
  • 当時の新聞報道(朝日・読売・毎日、1972年2月〜3月)
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