導入
「何もない春です」――森進一の歌謡曲で知られる襟裳岬。
しかし実際にバイクで訪れてみると、その印象は大きく覆される。風が削り取った荒涼とした岬、どこまでも続く水平線、そして人々の暮らしの営み。そこには、歌詞には収まりきらない豊かさと、旅人だけが味わえる感動があった。今回は札幌から襟裳岬まで、往復およそ10時間のバイク旅をルポ風に綴ってみたい。

出発 ― 札幌から南へ
朝、札幌を出発した。目指すは北海道の南端、襟裳岬。直線距離ではそれほど遠くないが、実際に走ると片道およそ230キロ。バイクでのんびりと走れば、5時間はかかる道のりだ。
国道36号線を南下し、苫小牧、鵡川と進む。都市部を離れると、道は次第に空が広がり、潮の匂いが強まってくる。車よりも自然をダイレクトに感じられるのがバイク旅の醍醐味だ。排気音と風の音だけが耳に残り、余計なことを考えずにハンドルを握る時間は、心を自由にしてくれる。
途中、静内や浦河を通り過ぎる。日高地方は競走馬のふるさとでもある。牧場の柵越しに、栗毛の馬たちがのんびりと草を食む姿も目に入る。時折、海と山が交互に現れる景色は、北海道ならではの雄大さを体感させてくれる。
襟裳岬に立つ ― 風の岬の印象

札幌を出て5時間、ついに襟裳岬に到着した。
到着してまず感じたのは、「思ったより風が穏やかだ」ということだった。年間を通じて強風にさらされることで知られるこの岬だが、この日は幸運にも風が静まり、海面はなだらかに波を立てているだけだった。
展望台からは、太平洋がどこまでも広がっている。足元の海岸線には、ギザギザと岩礁が続き、荒々しい自然の力を刻み込んでいる。遠くを見れば、白い波頭が岩にぶつかって砕け、細かな霧のように舞い上がっていた。
「何もない春」と歌われたこの場所は、むしろ“何もある”岬だった。
飾らない景色だからこそ、海と空の大きさ、自然の素朴さがストレートに胸に響く。観光地的な派手さはないが、だからこそ北海道の原風景をそのまま見せてくれるような気がした。
人の営み ― 昆布干しの風景
道中で特に印象的だったのは、昆布を干す光景だ。
広い砂利敷きの山側のスペース一面に、長く黒々とした昆布が並べられていた。太陽と潮風を浴びて乾いていく様子は、まるで大地そのものを覆うじゅうたんのようだった。
そこには漁師たちの暮らしの息遣いがあり、自然と共に生きる姿を垣間見ることができた。観光パンフレットにはなかなか載らないこうした日常の光景が、旅人にとっては強い印象を残す。バイクで走りながら目にするその風景は、単なる道中の一コマではなく、この土地の文化そのものだった。
帰路 ― 夕焼けとともに
岬を後にしたのは夕方近くだった。西の空は赤く染まり始め、帰路の国道では左手に真っ赤な太平洋を望むことができた。
水平線に沈んでいく夕日が海面を黄金色に染め、バイクのミラー越しにもその光が映り込む。ときおり視界いっぱいに広がる夕焼けに、何度も停まって写真を撮りたくなる衝動に駆られた。

「北海道を走るライダーだけが見られる特権の景色だな」と心の中でつぶやいた。都会の喧騒から遠く離れ、ただ走ることに没頭した1日の終わりに、この夕焼けが待っていたことが何よりのご褒美だった。
まとめ ― 何もない春ではなく、すべてがある場所
札幌から片道230キロ。決して近いとは言えない距離だが、襟裳岬は訪れる価値のある場所だった。風が吹き荒れる日もあれば、穏やかな日もある。岩礁に打ち寄せる波、砂利の上で干される昆布、そして夕焼けに染まる海――。そこには「何もない」のではなく、むしろすべてがあった。
旅を終えて振り返ると、襟裳岬は単なる観光地ではなく、自然と人間の暮らしが共鳴する場所だと感じる。次に訪れるときは、また違った表情を見せてくれるだろう。
北海道を旅する人には、ぜひバイクでも車でも、自分の目で確かめてほしいと思う。

 
  

